甘粛省敦煌市
敦煌は行政的には2段市で甘粛省酒泉市の中の一つの市区である。
市内にも汽車駅(火車駅)があり、過去は一日5本の列車があったようだが、観光期以外は誰も利用しないこともあり、現在は西安、蘭州、酒泉からの3本だけ。また単線で時間がかかるので、瓜州の柳園駅からバス2時間(90km)をかけて来るのが一般的のようだ。また空港もあるが便数も少ない。
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敦煌市郊外の地図
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1065次列車硬臥
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あかちゃんもすやすや
ウルムチから鄭州に向う女性のお嬢様。彼女からちょっと席をはずすので子供を見ててほしいと
言われ「我看看、不要担心」と答えると「謝謝!」と言って洗面所にミルクを作りに行かれた。
中国の長距離列車には必ず湯沸器がある。この列車の場合は隣の車両の最後尾に石炭を使った湯沸器がある。
「来抱抱(だっこだっこ)」と言って赤子をあやすのが得意な我友は中段でぐっすりお休みである。
女性が戻ってくるとお嬢様は離乳食のお食事。本当に泣かない良い子だ。ただし薬を飲むときだけは大騒ぎ。
薬を飲み終わると寝返りをつづけ車内で楽しそうに笑っていたのが印象的だった。
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1065次列車硬臥
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1065次列車車窓の砂漠
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瓜州柳園駅
さて8時26分頃に予定通り柳園駅に到着。鄭州に向う女性にお別れを言って下車。
駅の外では、観光会社のガイドが出迎えに来ており、近くに停まっている大型観光バスに乗るよう指示される。
座席はすでにほぼ満員で我々が最後の乗客だったようだ。多分この一本前の列車で来られた方、
逆の蘭州方面から来られた方等いろいろいらっしゃったのであろう。
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漢時代の長城
柳園から敦煌までの90kmの道はひどい。道が悪いのかバスのサスペンションが悪いのか「好像騎馬一様(馬に乗っているのと
同じ)」と言いながら我友と揺れを楽しんでいた。ガイドさんは四方「戈壁(ゴビ)=何も無い」と説明している(ゴビ砂漠の意味は何も無い砂漠という意味らしい。)。その内遠くに漢時代に作られた長城の残骸が見えてくる。
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敦煌駅
柳園からバスに乗ること約2時間で砂漠は果樹園に変わっていき敦煌市街に入ってきたのがわかる。市内には高層ビルもなく農村という感じ。
これが一日3本しか列車がないという敦煌駅。結構立派な駅だ。
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莫高窟へ向う道
敦煌駅を経て莫高窟へ向う途中は草木も生えないまさに砂漠。遠方に蘭州まで延々と連なる祁連山が見えてくる。この山脈の向こうは去年の今頃行った青海省である。
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莫高窟
11時過ぎに莫高窟に到着する。
残念ながら石窟内は写真撮影が禁止なので外から撮影するしかない。
入口を入る前にカメラを持っている人はそれを鞄の中等にしまわないといけない。
でないと入口で預けないといけなくなる。
一旦入口から入ると現地の専門のガイドに従って説明を聞くことになるので写真を撮る間隙もない。
ガイドがいちいちそれぞれの石窟の入口の扉の閂を開け観光客を入れて、見学が終わると観光客を石窟から出し扉の閂を閉めるという厳重さ。
このように入場門の外から撮影するのは自由。当日は観光客で溢れかえっていた。
※石窟内部については他の観光ガイドブック等参考にしてください。
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莫高窟
だいたい向って右側から左側になるにつれて石仏は大きくなる。最も古い北魏〜北周のものは洞窟内全体に
精緻な仏画が描かれている。隋〜唐になると仏像は巨大化していき96窟に至っては33mの高さがある。
この他にもう一つ巨大な仏像があり、下からでは顔がよく拝めない。
158窟に至っては仏像は横たわっており、その背後に多くの弟子たちの仏像が控えて豪勢である。
各石窟は非常に個性があり見学はとても楽しい。
全ての石窟が見学可能というわけでなく、保存状態が悪い石窟は正面扉に鍵がかかっており入れない。
解放されているのは40窟前後。
乾燥した気候のせいか各石窟の保存状態は極めて良い。
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莫高窟
石窟は莫高窟の外にも延々と連なっている(が殆ど中は崩壊してしまっているのであろう。)。
悠久の時代から紛争の耐えなかったこの地では、人々は只管平和を願って延々と彫り続けられたのであろう。
世界文化遺産-敦煌莫高窟
莫高窟は俗称千仏洞と呼ばれ有名な仏教遺跡である。
敦煌の南東25kmの鳴沙山の東山麓で前には大泉河望む。
唐代の碑文によると莫高窟は西暦366年から建造され14世紀までひたすら建造が続いた。
北涼、北魏、西魏、北周、隋、唐、五代、宋、回鶻、西夏、元の各王朝において南北全長1680mに渡って石窟群が造られた。
すべての洞窟は735個あり、その中で色付の仏像と壁を持つのは492窟。色付の彫刻は2,000体にも及び、壁画の広さも45千平方メートルに及ぶ。また木の建物の入口があるものは5つある。莫高窟は現在において、世界で最も規模が大きく歴史が古く、内容が豊富で保存状態が最も良い仏教遺跡である。
莫高窟の各窟は洞窟建築で彫刻と壁画で総合的に構成されている。
主な洞窟建築スタイルは禅窟、中心塔柱窟、殿堂窟、大仏窟等である。
絵が施された主なものは、仏、菩薩、天王、力士像等。
壁画の内容は豊富で広きに渡る。
分類すると仏教尊像画、仏教故事画、経変画、神像画、供養画、装飾図案等7種類である。
精美な彫刻と壁画の系統は各時代の芸術の風格と伝統からなり、とても貴重な歴史的、芸術的、科学的な価値を備える。現地の看板の日訳
1987年12月11日に中国初の世界文化遺産に登録されている。
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鉄道賓客館
さて、莫高窟の見学が終わると待望の食事だ。昨晩と今朝は汽車の中でパンと
ソ-セージ(とバナナ?)しか食べていないこともありお腹がすいた。
バスで敦煌駅の隣の鉄道賓館に連れていかれ、今日初めて会ったツアーの
メンバーとともに楽しい食事。おいしかったのでがつがつ食べていたらもう
まわりには誰もいない。バスに乗ると我々が最後だった。相当空腹だったのだろう。
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地鉱陳列館
そして、お買い物に連れて行かれる。最初プレゼンテーションルームに連れて行かれるが、皆がそろうと特に説明もなく店内に通される。
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鳴沙山
さてお土産の購入が終わると鳴沙山へ。鳴沙山の駐車場に着くと我友はまた面白いものを
買い込んでいる。日焼け防止用の手袋、サングラスなど。特に手袋は(いらないと言っているのに)
私の分まで買ってくれたがこの赤白のまだらの手袋を今後何に使えばいいのだろう。。。
なお、この買い物のおかげでツアーグループから(新疆から来た若いカップルとともに)はぐれてしまい、
我友が携帯電話でガイドを探す始末。ツアーグループは既に鳴沙山の入口にいた。入口をくぐると
巨大な砂山。。この砂山の上にも人がいるということは、我々も登るのかな。。。どうやって。
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鳴砂山〜新疆の彼女が運転中
登る方法は3つ。
@自力で登る→無料、A駱駝で登る(但し途中まで)→1頭80元、Bジープで登る(但し途中まで)→1台260元。
なおこの他にレンタル足袋(一人10元)は必須。これを借りないとここの木目の細かい砂山はとても登れない。 我々は新疆のカップルと組んで1台のジープで登ることにした。運転については特に免許が無くても良いみたい。
まずは、新疆の彼女に運転させてあげた。キャーキャー言いながら楽しそうに運転。
中国では加速を「加(ジャー)」と言う。
私は後ろで「ジャー!ジャー!ジャー!」と大声を出してはしゃいでいた。。。
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鳴砂山〜砂丘の上で
ジープで頂上まで行けると思っていたら甘かった。なんとジープは砂山の麓まで。ここからは自力で登らないといけない。登る途中帰りの滑り台(大滑沙)のチケットを購入。ひーひー言いながら登頂!中国旅行は登山がつきもの。
なおこの写真の先に見える緑の部分が敦煌市内である。それは大砂漠の中の巨大オアシスであることがわかる。
なおこのオレンジ色の足袋どうですか?
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鳴砂山〜砂丘の上で記念撮影
久しぶりに記念撮影。頂上では山下を狙ったアーチェリー、滑り板、また中腹からはオフロードバイク等が楽しめる。
鳴沙山は砂の大遊園地。我友も大喜び。
なお新疆の彼氏はアーチェリーが一発も的に当らなかった。
私は一足先に滑り台に向って下山開始。砂山も片足交互に跳ぶようにして下ると以外に楽に降りることができる。その降り方が滑稽だったのか山上で新疆のカップルが笑っていた。
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鳴砂山〜大滑沙
これが滑り台。タイヤに乗って砂山の斜面を滑走。
砂が細かいためかなり高速になり楽しい。
途中でタイヤの向きが変わり最後は後ろ向きに到着することになる。
中国の我友と最初に行ったハルビンの「大滑雪」以来だ。
新疆のカップルは二つのタイヤをロープでつなぎ仲良く降りてきた。
彼氏が係員に「20元払っているのだからもう一回すべっても
いいだろう」と交渉している。係員は「自分でタイヤを持ってあがるなら何度でもいいよ」とのこと。
さすがにこの重いタイヤを持って登るのは大変なので新疆の彼氏は断念。
なお帰りは新疆の彼氏の運転で入口まで。けっこう臆病で安全運転すぎてスリルが少なかったかも。
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鳴砂山〜自動車
そしてハンググライダーに乗るとか乗らないとか。私以外の3人はその場の雰囲気で乗る方向に話が進んでいるようだったが私はもう時間がないからよそうと提案(そもそも日本人の私がハンググライダーが怖いなんて言うと国際問題になるので、とりあえずこの言い方しかなかった。)。
かっこをつけていた新疆の彼氏の顔にかすかに安堵の表情を垣間見たのは私の気のせいだろうか?
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月牙湖へ向うバス
さて入口からは月牙湖に向う専用小型バスが出ていて一人10元。乗ってみてわかるのだが歩いていけないこともなさそう。
バスに乗る前に我友が四人分の冷えた水を買ってきた。最高に美味しい。
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月牙湖
これが砂漠の中にできた幻想的な月牙湖だ。昔のオアシスを想像させる建物もある。戈壁(何も無い)な砂漠を長い月日をかけて歩いてきた隊商はこのようなオアシスが見つかるとどんなに嬉しいことだろうか?
なお、このオアシスでは現在はビールも飲めればアイスクリームも食べられる。
周囲の砂山のあちこちに「大滑沙」がありここは一日遊べるところだ。
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鳴砂山の駱駝
さて月牙湖の観光も終り新疆のカップルとともに専用小型バスで入口に戻る。これが1回80元の駱駝。我友は既に昨年の寧夏で駱駝に乗っているので今回はいいとのこと。
さんざん遊び、さんざん日焼けして砂まるけになってバスに戻り、途中土産物店に立ち寄りホテルへ。ホテルは凌雲賓館。
エレベータも無いホテルであったがとりあえず湯が出るのでポロシャツ、下着等を洗濯し衣服を着替えて我友が食事に呼びに来るのを待った。
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敦煌市街部
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沙州夜市
新疆のカップルと一緒にホテルを出てタクシーに乗車し夜市に。夜市に着いたら私の提案で彼らとは別行動とした(
せっかく彼らはカップルできているのに一緒に食事もないでしょう。我友は気が利かないなあ。)。
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沙州夜市のお食事
またまた楽しみの食事。
今回の旅行は大連からずっと羊肉だ。
そもそも私の大好物の羊肉が日本ではあまり売っていないのはどうしたことだろう?
羊肉串は30本で30元。
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沙州夜市の小朋友
お店は家族総出で運営している。彼女が我々のサービスをしてくれた店主夫妻のお子様で10歳とのこと。
とても楽しそうに店を手伝っていた。両親の仕事を子供が間近に見て成長し、それを覚えていくのが
楽しみになっていくこと、それが本当に楽しい家庭というものかもしれない。
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沙州夜市
トルファンの「火州」に対して、敦煌は「沙州」と呼ばれていたらしい。確かに町中砂っぽい。
沙州の夜は更けていく。
我友は、このような夜市が大好きで、大連に20人ほどいるという我友の友達へのお土産のネックレス等を大量に買い求め、値引交渉に精を出していた。。
最後に八百屋で大きなバナナ、白酒、水を購入してタクシーでホテルへ。お休みなさい。今日も疲れました。
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