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日南の滝と九重夢大吊橋

南九州の滝めぐりは続く

関之尾滝から都城ICを経由し宮崎自動車道を宮崎方面へと東進し、清武JCTから東九州自動車道に入り北上し西都ICで一般道へ。ここから新瀬口橋を渡り道路標識に「延岡」または「都農」と記載されている方に進む。途中「尾鈴山」「矢研(やとぎ)の滝」方面へ左折をする。しかし「矢研の滝」に行くには予想外の苦労があるとはこの時点ではわからない。 その滝に向かう県道はときどき狭小になるものの、舗装はされており、まあ走りやすい道である。
はYafooの地図です。適宜縮尺を変えて付近の道や位置関係を確認ください。


滝名場所 徒歩の高低
95矢研の滝宮崎県都農町100m以内
96行縢の滝宮崎県延岡市100m以上
92震動の滝大分県九重町50m以内





矢研の滝
矢研の滝を含む尾鈴山瀑布群は数多くの滝を持つ。 今回は時間の都合で「矢研の滝」と途中の「若葉の滝」「青葉の滝」しか見学しなかったが、他に2つの水系を持ち、 「矢研の滝」とは別の一つの水系には「甘茶小滝」「甘茶滝」「千畳滝」「えのは滝」「太郎滝」「次郎四郎滝」「あじさい滝」「岩見滝」等があり、またもう一つの水系には「あけぼの滝」「白滝」「すずかけの滝」「はがくれの滝」「やすらぎの滝」「うらじろの滝」「さぎりの滝」「すだれの滝」「小滝」「しゃくなげの滝」「紅葉の滝」等がある。 どの水系も最後の滝までは3時間位かかりそうなので、全て網羅するためにはキャンプ場でバンガローを借りて宿泊して臨むが良さそう。赤目のように大衆化されていないようなので全滝制覇はさぞ楽しいだろう。

矢研の滝MAP

矢研の滝への県道入口から約8km程西進すると、「矢研の滝」という看板があり、そこに駐車場@がある。ここから吊橋を渡ることになるはずだったが、残念ながら、この吊橋の下の「すずめ蜂の巣」は撤去されたようだが(現地の看板)、吊橋自体が途中で落ちているとのこと(もう一枚の現地の看板)。 したがって、さらに先の、キャンプ場に向かう途中の駐車場Aまでさらに車を進めることになる。 ここから先は4WDなら進めるのかもしれないがCITY CARのマーチは車体が低いので無理。 キャンプ場まで林道を歩くことになる。
林道を進むとまもなく川の方向に下りる舗装された道があり、その先の橋を渡るとキャンプ場に出る。 家族連れも何組か来ておりのどかな雰囲気である。このキャンプ場の炊飯場の裏の階段を上ると売店もある。
近くで作業している人に「矢研の滝」へはどう行くのか聞いてみた。 矢研の滝までは徒歩約10分で途中小さな滝があり,それを横切って行くとすぐとのこと。 小さな滝の先には綱もあるので大丈夫だとのこと。 なんとなく微妙な発言。 なにも危険かどうかを聞いているわけではないのに。

ともあれ、矢研の滝への山道入口はキャンプ場の裏手にあった。
矢研の滝に続く山道は、高低差を考慮してもそれほど険しいものではない。 途中何組かのカップルに出遭い、彼らにあとどのくらいか聞いてみると、そんなに遠くないとのこと。 だけど、途中で靴を脱いで渡らないといけないところがあるとのこと。 しかしそれに値する感動的な滝があるとのこと。
そして、その靴を脱いで渡るところ...そして作業員の方が小さな滝と言っていたところ到達する(若葉の滝)。 これが小さな滝?水量も相当ある。 対岸に「矢研の滝→」という看板がある。 カップル達も渡ったというので、靴とソックスを脱いで挑戦。 流れも速く川底の石も非常に不安定。転ぶのはかまわないが、大切なカメラは濡らしてはいけない。 シャワーのような飛沫の中なんとか対岸へ到達。

若葉の滝

渡り終わった後、下方を見ると実はその下流は落差が結構ある滝(青葉の滝)だったことがわかり息を呑む。

青葉の滝

矢研の滝

手すりはあるが心もとない崖っぷちを廻ると、生茂った森林の間に巨大かつ荘厳な滝が現れる。 水量、落差、幅とも超一流で、九州一どころか、全国でも有数な名瀑だと思う。落差73mとのこと。神武天皇が東征の折り、この滝川で矢や鉾を研がれたことが名の由来。 足場の岩には苔が生えており、とても不安定だ。 なるほど、先ほどの「若葉の滝」を皆が小さな滝と言っていた意味が良く理解できた。 なお同じ尾鈴山瀑布群にある「白滝」は落差75mとのことで是非ともいつか行ってみたい滝である。 豪雨で道が崩れていなければの話だが。
2007年8月13日

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行縢の滝
さて、感動的な「矢研の滝」を後にして延岡へと北上する。「道の駅日向」で、かきあげそば、うどんを賞味。 途中金ケ浜、小倉ケ浜という美しく広い砂浜の海岸線が続く。 帰省客や海水浴客で国道10号線は大渋滞。 その先の延岡南道路からようやく快適に運転ができた。 「行縢(むかばき)の滝」へは、この道路の終点の延岡ICを高千穂方面に出て、国道218号の旧道と合流する地点で旧道を延岡市方向に少し戻る。まもまく「行縢山」という看板があるので、左折して鉄道をくぐって進む。

行藤の滝MAP

この道を進むとまもなく「行縢の滝」が遠方の山(行縢山)の斜面に見えてくる。 さらに進むと、「むかばき少年自然の家」があり、ここに宿泊者以外の一般車も駐車しても良いようだ。 この先に「行縢神社」がありその境内の右側から滝及び行縢山へと続く登山道がある。山頂までは2時間、滝までは約1km位とのこと。しかし天候もいまいちで、かつ今日の宿泊場所の九重へ18時には着かないといけないため、遠方での撮影に甘んじることにした。 したがって左図の赤い線は各種参考資料から推察した道。

行縢の滝

これは200mmの望遠レンズで麓から撮影したもの。 奇形の行縢雄山(左)と行縢雌山(右)の間の岩壁を落ちる落差77mの大きな滝であり、麓から見ると天空の滝に見える。800m程度の山の中腹にこのような水量がある滝があることには少し驚かされる。
2007年8月13日

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震動の滝
延岡から、国道218号を西進し高千穂町へ向かい、そこから国道325号、そして高森から国道265を経由し阿蘇市宮路から「やまなみ街道」に入り北上する。 大分県に入るとすぐに猟師山の西の道に入り飯田高原の「つくしみ山荘」へ。残念ながら到着は目標の30分遅れの18:30頃になった。 一泊7千円強で夜は地鶏の山菜鍋が賞味でき、朝食は川魚と地鶏の卵が賞味できるお手ごろな宿である。 当日は家族連れで満館であった。

震動の滝MAP

翌朝、朝食を済ませ9時前に宿を出発。 「震動の滝」が見えるという、「九重夢大吊橋」は間近だ。 しかし吊橋に近づくと車の長い行列ができている。 気が短い我々は無料の公営駐車場をあきらめ公営駐車場の前の茶店の駐車場に300円で車を停めた。
「九重夢大吊橋」は、日本最長の人歩吊橋で、橋脚間250m、総工費15億円とのこと。 大人500円で往復できる。 なお風が強いため日傘雨傘とも使用禁止。
入口の右側から「震動の滝」展望台へ向かう道もある。

九重夢大吊橋

震動の滝

夢大吊橋は多少揺れるがこの程度の揺れで立っていられないようでは東南海地震が来たらどうするのか、 等と思いながら滝を先に(西に)進んで行き橋の中心を越えると震動の滝雄滝、雌滝両方がフレームに収まる絶好の撮影ポイントがある。右奥が日本の滝百選の雄滝(落差83m)、左手前が雌滝(落差93m)で真ん中に小さな子滝がある(といっても子滝は崖の表面が濡れている程度のものだが)。雄滝は滝壺を持ちその周辺には温泉も湧き出しているし、また鍾乳洞もあるとのことだが、どうやって行くのかは全く不明。
2007年8月14日
震動の滝(現地の看板より)
震動の滝は、九百年も前の文献「船岡新宮八万縁起」にもみられ、その昔より人々に親しまれてきました。かの田能村武田も「豊後国志」に次のように記しています。
『震動の滝』(原文は漢文)
飯田郷田野村に在り玖珠川の源なり。九重、大船の水此れに至り瀑と為る。飛流八十尋石に触れ、砕散る。六月雪となりて飛ぶ。動揺して懸崖を直下す。其声数千里に聞ゆ。傍の雑樹陰鬱たり。下の碧潭窈冥す。近づきて窺ふ可からず。
『震動の滝竜神伝説』
昔々、この震動の滝には年老いた竜神が住んでいました。年々、神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として、若い女を食らうことにしました。 釣り事よせて、北部部落のある里人を招き寄せ「お前の娘を差し出せ。 さもないとお前を食べるまでだ」と迫ったのです。里人は恐ろしさのあまり、娘を捧げる約束をして逃げ帰りました。 約束を果たさずにおりますと、竜神はおこって神通力で部落の底を抜いて水を干上がらせてしまったのです。 田畑の作物は枯れ、井戸水も無くなり、田畑は大干ばつに見舞われました。 この時、娘の恋人は一計を案じ、部落総出で懸命に詫びて、不老長寿の薬として「餅」を捧げて竜神の怒りをしずめることができました。 この時から、天災や大火の度に部落では餅を滝壺に捧げて竜神の機嫌をうかがう習わしとなりました。 しかし老いた竜神には部落の水を元に戻す力はもうありませんでした。
その後、部落の難儀を見かねた日田代官塩谷大四朗によって、天保三年、千町無田より水路が設けられ、昔のように稲を作ることができるようになりました。 その水路記念碑は北方部落の白鳥神社境内にあります。
竜神が岩や木をかきむしってはい登った跡が、白鳥神社のそばに残り、「竜神崩え」または「白崩え」と呼ばれて今も里人に恐れられています。

青の洞門

「九重夢大吊橋」はまだまだ相当な観光客が見込まれると思うので、祝祭日に訪れるのであれば、大分自動車道九重ICから南下するルートはとても薦められない。 急な勾配の道に長蛇の列ができ前にも後ろにも進めない状況に陥るのは必至。 したがって阿蘇、九重(久住)山方面から飯田高原を経由して北進するルートをお奨めしたい。 南側、北側いずれもかなり渋滞すると予想されるが、南側には途中に民間の駐車場(500円)等が多々あり、橋から多少離れているとはいえそこから橋まで十分歩けそうだからである。
帰りは耶馬溪、そして越後の禅海和尚が鑿と槌で342mの大洞門を30年かかって掘った(3.1cm/日)ことで有名な「青の洞門」 を経て 中津経由で小倉東ICから九州自動車道に入り関門大橋を渡って実家のある広島へと戻った。
空を飛んでいるような、九重夢大吊橋からの春の景色にぴったりと合うと思う中国の歌を自訳してみた。

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