関之尾滝から都城ICを経由し宮崎自動車道を宮崎方面へと東進し、清武JCTから東九州自動車道に入り北上し西都ICで一般道へ。ここから新瀬口橋を渡り道路標識に「延岡」または「都農」と記載されている方に進む。途中「尾鈴山」「矢研(やとぎ)の滝」方面へ左折をする。しかし「矢研の滝」に行くには予想外の苦労があるとはこの時点ではわからない。
その滝に向かう県道はときどき狭小になるものの、舗装はされており、まあ走りやすい道である。
はYafooの地図です。適宜縮尺を変えて付近の道や位置関係を確認ください。 |
滝名 | 場所 | 徒歩の高低 | |
95 | 矢研の滝 | 宮崎県都農町 | 100m以内 |
96 | 行縢の滝 | 宮崎県延岡市 | 100m以上 |
92 | 震動の滝 | 大分県九重町 | 50m以内 |
延岡から、国道218号を西進し高千穂町へ向かい、そこから国道325号、そして高森から国道265を経由し阿蘇市宮路から「やまなみ街道」に入り北上する。 大分県に入るとすぐに猟師山の西の道に入り飯田高原の「つくしみ山荘」へ。残念ながら到着は目標の30分遅れの18:30頃になった。 一泊7千円強で夜は地鶏の山菜鍋が賞味でき、朝食は川魚と地鶏の卵が賞味できるお手ごろな宿である。 当日は家族連れで満館であった。 | |
震動の滝MAP |
翌朝、朝食を済ませ9時前に宿を出発。
「震動の滝」が見えるという、「九重夢大吊橋」は間近だ。
しかし吊橋に近づくと車の長い行列ができている。
気が短い我々は無料の公営駐車場をあきらめ公営駐車場の前の茶店の駐車場に300円で車を停めた。 「九重夢大吊橋」は、日本最長の人歩吊橋で、橋脚間250m、総工費15億円とのこと。 大人500円で往復できる。 なお風が強いため日傘雨傘とも使用禁止。 入口の右側から「震動の滝」展望台へ向かう道もある。 九重夢大吊橋 |
震動の滝 | |
夢大吊橋は多少揺れるがこの程度の揺れで立っていられないようでは東南海地震が来たらどうするのか、
等と思いながら滝を先に(西に)進んで行き橋の中心を越えると震動の滝雄滝、雌滝両方がフレームに収まる絶好の撮影ポイントがある。右奥が日本の滝百選の雄滝(落差83m)、左手前が雌滝(落差93m)で真ん中に小さな子滝がある(といっても子滝は崖の表面が濡れている程度のものだが)。雄滝は滝壺を持ちその周辺には温泉も湧き出しているし、また鍾乳洞もあるとのことだが、どうやって行くのかは全く不明。
2007年8月14日震動の滝(現地の看板より)震動の滝は、九百年も前の文献「船岡新宮八万縁起」にもみられ、その昔より人々に親しまれてきました。かの田能村武田も「豊後国志」に次のように記しています。『震動の滝』(原文は漢文) 飯田郷田野村に在り玖珠川の源なり。九重、大船の水此れに至り瀑と為る。飛流八十尋石に触れ、砕散る。六月雪となりて飛ぶ。動揺して懸崖を直下す。其声数千里に聞ゆ。傍の雑樹陰鬱たり。下の碧潭窈冥す。近づきて窺ふ可からず。 |
『震動の滝竜神伝説』昔々、この震動の滝には年老いた竜神が住んでいました。年々、神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として、若い女を食らうことにしました。 釣り事よせて、北部部落のある里人を招き寄せ「お前の娘を差し出せ。 さもないとお前を食べるまでだ」と迫ったのです。里人は恐ろしさのあまり、娘を捧げる約束をして逃げ帰りました。 約束を果たさずにおりますと、竜神はおこって神通力で部落の底を抜いて水を干上がらせてしまったのです。 田畑の作物は枯れ、井戸水も無くなり、田畑は大干ばつに見舞われました。 この時、娘の恋人は一計を案じ、部落総出で懸命に詫びて、不老長寿の薬として「餅」を捧げて竜神の怒りをしずめることができました。 この時から、天災や大火の度に部落では餅を滝壺に捧げて竜神の機嫌をうかがう習わしとなりました。 しかし老いた竜神には部落の水を元に戻す力はもうありませんでした。その後、部落の難儀を見かねた日田代官塩谷大四朗によって、天保三年、千町無田より水路が設けられ、昔のように稲を作ることができるようになりました。 その水路記念碑は北方部落の白鳥神社境内にあります。 竜神が岩や木をかきむしってはい登った跡が、白鳥神社のそばに残り、「竜神崩え」または「白崩え」と呼ばれて今も里人に恐れられています。 |
青の洞門 「九重夢大吊橋」はまだまだ相当な観光客が見込まれると思うので、祝祭日に訪れるのであれば、大分自動車道九重ICから南下するルートはとても薦められない。 急な勾配の道に長蛇の列ができ前にも後ろにも進めない状況に陥るのは必至。 したがって阿蘇、九重(久住)山方面から飯田高原を経由して北進するルートをお奨めしたい。 南側、北側いずれもかなり渋滞すると予想されるが、南側には途中に民間の駐車場(500円)等が多々あり、橋から多少離れているとはいえそこから橋まで十分歩けそうだからである。帰りは耶馬溪、そして越後の禅海和尚が鑿と槌で342mの大洞門を30年かかって掘った(3.1cm/日)ことで有名な「青の洞門」 を経て 中津経由で小倉東ICから九州自動車道に入り関門大橋を渡って実家のある広島へと戻った。 空を飛んでいるような、九重夢大吊橋からの春の景色にぴったりと合うと思う中国の歌を自訳してみた。 |
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