
| 2006年7月16日〜17日にタイのカンペーン・ペットの郊外で行われた、友人Tさんの結婚式にご招待されました。この感動的な結婚式をご紹介します。 | |
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|   図のピンクの線はフライト,黄緑の線はタクシー | 7月15日、タイ国際航空TG643便10:00成田空港第一ターミナル発、バンコク14:30頃着。
タイと日本では2時間の時差があるので、6時間半のフライト。
空港の入国審査カウンターはどこも長い列ができており、また一人あたりの審査が1分から2分もかかるので、1時間以上も待たされる。
その間、全く言葉の通じない中東系の外国人の女性から、入国カードのここには何を書くのかと指差し尋ねられる。
なにも外国人に良く話しかけられるのは、中国に限った話ではなさそう。 さて、空港を出るとタクシーに乗り込み、インターネットで予約してあったスクムビット通8のロイヤルアジアンロッジへと向う。 ドライバーは、「予約しているのか?」「タイにはいつまでいるのか?」等とよく英語で話しかけてくる。 タイ人は話好きのよう。 とりあえずロイヤルアジアンロッジにチェックイン。20ドル。 それから、Tさん、TOKUさん、YAMAさん、KITAさんが宿泊しているスクムビット通11のスイスパークホテルロビーで17:30に皆と合流。 タイのレストランへ。その後夜のバンコクへ。バンコクの夜もいろいろあるものだ。 | 
|   ピサノルーク空港でタクシーを待っている時に撮影 | 翌朝5:00にスイスパークホテルでTさんと落ち合い、タクシーでドン・アムン空港へ。
空港の喫煙所では、プーケットに向かうという上海人に「日本人か?」と話しかけられる。
ともあれ6:30発のフライト(タイ国際航空TG-160)でピサノルークへ。
ピサノルークは、バンコクとチェンライの中間辺りに位置する町である。
タイ国際航空の国内線は、座席のカバーが色とりどりで、華やかである。
ピサノルークに到着すると、タクシーの受付カウンターがある。
Tさんは、カウンターのスーツ姿のご婦人とカンペーン・ペットまでのタクシーの価格交渉。
カンペーン・ペットは、ここから100km以上も西側である。
結局1,500BAHT(1BAHT≒3JPY)で決着した。
空港を出て待っていると、銀色のカローラが迎えに来た。
先ほどのカウンターにいたご婦人が運転席に乗り込んだのにはちょっとびっくりした。 | 
|  ピサノルークからカンペーン・ペットまでは、長い長いほとんど直線の一本道。
ご婦人ドライバーが次々と遅い車を抜いていく。
禁煙とのことなので、途中タバコ休憩をしていただいた。そこで撮影。
急に、左肩と左足にピリッと神経痛。日ごろの不摂生が祟ったかと思いながら車に
戻ると、なんと数匹の蟻が肩と足を噛んでいる。恐ろしい蟻だ。どうやら木から
降ってきたものらしい。この先が思いやられる。。。?
そしてTさんのフィアンセ(以降Nさんと言います。)に用意していただいたカンペーン・ペットの最高級ホテル「ペットホテル」に到着。 |  そのロビーでNさんと初対面。右から2番目のご婦人がTさんのフィアンセのNさん。
一番右はNさんの学生時代からの親友の方。この方もとても感じが良く結婚式の最後までよくNさんを手伝っていた。
一番左は、先ほどのご婦人ドライバー。この人はまだここで何をしているのかと思ったら、
明日のバンコクへの帰りのタクシーについて、Nさんに商談をしてるようだ。
どうやら5,500BAHTで決着したらしい。
さらに、昼の便でピサノルークへ着くTOKUさん、KITAさん、YAMAさんのカンペーン・ペットまでの車も手配。 | 
|  Nさんに、幌つきトラックタクシー?でカンペーン・ペット市内の観光案内に連れて行っていただいた。
寺院でお参りをし、その後博物館。
そしてTさんは途中でNさんに贈る金のネックレスをお買い求めになっていた。
その間、露店で「チキン」の串焼とビールを買い込み、トラックタクシーの荷台で皆で食べる。
ご飯は、もちろんタイ米で、サランラップにつつんであるのを手で食べる。
なるほど、タイ米は日本の米と違い、べたべた手にはつかない。 |  Tさんご夫妻の新居で。確か今年に入ってから建築が始まったとか聞いている。
新居に着いたら早速昼食のおもてなしを受けた。ビールもたくさんご馳走になった。
タイでは日本と同じように、家に入るときは靴を脱ぐようだ。ただしちょっと
違うのは、家の外もはだしで歩く方(子供とお年寄り)もいる。
タイ料理は香菜(コエンドロ等)を入れなければなかなか美味しい。
私はなぜか、さらさらしているタイ米はとても好きだ。 | 
|  これがTさんの新居。近所ではちょっと見かけない、青壁の立派な家だ。
正面はシャッターになっている。
さすがに夜は閉めると思うのだが、開けっぴろげで楽しそうな家である。
床には陶器のタイルが敷き詰めてあり、ごろごろするとひんやりしてとても気持ちが良い。 |  | 
| NさんとNさんの友達の方が熱心に昼寝しろと勧めるので、私もTさんとごろごろ昼寝。 日本では扇風機は首を振るのが健康に良いと言われているが、タイでは、首を振らすと すぐに誰かがそれを止めている。この昼寝は本当にきもちがいい。この家では、寝るところ、座るところにマットや絨毯を適宜敷く。 | |
|  さて昼寝が終わると、Nさんから友達を向かえに行くようにと言われる。
トラックタクシーでペットホテルに戻り後発隊のTOKUさん、KITAさん、YAMAさんと合流。
この写真はペットホテルから新居に戻っているトラックタクシーから撮影。市内から新居まで約20分かかる。
だんだん薄暗い雲が追いついて来てやがて大雨となる。これがスコールか?
荷台に屋根があってもみなびしゃびしゃ。 |  雨が小降りになってきたので、Tさんの新居から少し離れて村の風景を撮影。
遠くに見える青い家がTさんの新居。どの家も家の前に村人が集まれる空間がある。
また、多くの家が、家の前でお店をしている。
スコールが小降りになると、とても蒸し暑くなる。 | 
|  さあ、夜もふけた。タイではいわゆる披露宴(前夜祭というのだろう)が前日の夜。
結婚式は、次の日の早朝。そろそろ披露宴の準備ができたようだ。 |  家の前に立てられたテントに集う村の人々。
特にだれがどこに座ると決まっているわけでもなく、気の会う人達がテーブルを囲む。楽しい集いだ。 | 
|  家の前に建てられた仮設ステージ。プロの歌手が7時過ぎから12過ぎまで、ぶっとおしで踊り歌う。
日本人4人とNさんの仲の良い友達たちは一番前の席に座るように勧められた。
おばちゃんが私に向かって「踊ろう踊ろう」とさそうので、何回も固辞したが、やがてステージの下で踊ることとなった。
老若男女皆踊りが好きだ。 |  このように、通りかかった人達も道路に荷車を止めている。
彼らも真夜中までずっと一緒にステージを楽しんでいた。なんとものどかで楽しい時間である。 | 
|  結婚式なのに、露店も集まってくる。アイスクリーム、ジュースそして風船、お酒、ビール等売っている。 |  このように、どこからもなくどんどん人が増えていく。風船を持った子供たちも踊りだす。 | 
|  ステージは途中であったが、われわれは12時前にトラックタクシーで明かりもなく真っ暗な道をペットホテルまで送っていただいた。 翌朝6:30ホテルを出発。T氏の新居へ。7:30から結婚式。 |  新居に車で9人のお坊さんがやってきた。このお坊さんが念仏を長々と唱える。
やがてお坊さんたちに食事が振舞われる。 これで終わりかと思ったら、食事後また念仏が始まる。 | 
|  儀式の意味はちょっとわからないが、お祈りを捧げる。厳粛な時間である。 |  お坊さんの方々の念仏で功徳を受けたお米を、他の御櫃に少しずつ分けていく。
最初は新郎、新婦が、次はTOKUさんが、そして我々が、そして村の人々が。 | 
|  時間どおりに結婚式に来るのは日本人と身内だけで、友達は結婚式の後半に集まってくる。
なお、お坊さんへのお礼は、お菓子の詰め合わせ。すこし可笑しい。 |  さて、お坊さんたちがお帰りになると、皆で朝食。そして引き出物はバナナの木?
バナナの木をもらった村人達はうれしそうに、木を持って踊りだす。 | 
|  そして、また家に入り、新郎は新婦の首にネックレスをかけ、その指に指輪を。いつも
奥様の親友の方がサポートしている。そして、新郎・新婦の頭の間は白い糸で繋がれる。
日本の「赤い糸」とちょっと違うところが面白い。 |  その後何がはじまるのかと思ったら、お祝い金の徴収。
皆が見ている中、二人の前でお金を坪に入れる。
これが日本のように封筒に入れて名前を書いて渡す方法とは違う。
どうやら一人500BAHTが一般的のようである。
おつりをもらう人もいるので少しおかしい。 | 
|  結婚式のフィナーレ。Tさん、Nさん、そして皆様お疲れ様でした。お二人の末永き幸せを! まもなくNさんに手配していただいたタクシーも到着した。 地元の方々の盛大な見送りのもと、TOKUさん、KITAさんとともにタクシーに乗り込む。 後ろ髪を引かれる瞬間であった。 |  バンコクへは国道1号線・32号線をひたすら340km南下する。
途中ナコンサワン県にはパープーン山という変わった岩山がありタクシーの窓から撮影。 道路標識もほとんどそうだが、昼食のために立ち寄ったサービスエリアではタイ語以外の言語での記載が全く無い。 運転手さんに頼んで食事を注文してもらう。ここの食事も意外と美味しかった。 | 
| このタクシーの運転手も会話が大好き。 彼は日本人がタイ人と同じように米を食べることでとても親近感を持っているようである。 確かにタイでは、手で食べたりフォーク・ナイフも使うが箸も使う。日本人と同じか。 そして、おなじ王国であることも共通点を感じているようだ。 プミポン・アドゥンヤデート国王は陛下御在位60周年で、民衆から熱愛されていること等を話していた。 アユタヤに近づくと、国王の写真があちこちに掲げられている。タイの民衆はその前で手を合わせる。 | |
|  途中国道32号線から309号線へと右折しアユタヤの遺跡に立ち寄ってもらう。
アユタヤ王朝は1767年ビルマによって滅ぼされたタイの旧都である。
市内には数々の巨大なワットがある。
日本とも関わりが深く、鎖国前の日本はアユタヤとは中国をしのぐ貿易を行っていたらしい。
日本人町が多く栄えていたが、いずれねたむ華僑によって滅ぼされたとのこと。
その日本人の末裔たちは今もタイで生きているのかもしれない。
タクシーの運転手もいろいろと説明してくれたが、説明を受ける前に少しでもタイの歴史を
勉強しておけばもっと良く理解できたかもしれない。 |   スイスパークホテル | 
| そして、16時過にバンコクのスクムビット通に戻ってきた。すべての始まりのスイスパークホテル。
このスクムビット通では、生活に困って地方から出てきた若者が夢と希望を見つけるためにたくましく生きている。
Kさんのように、日本人と結婚して地元で家を構え暮らしていくのは、彼女達にとっては最高の幸せだと思う。
日本とは過去から深い関係があり、かつ日本人に対して親近感をもっているタイを、上辺だけでなく中に入って
感じることができた今回の旅行はとても思い出深いものとなった。 20:30にホテルを発ちドン・ムアン空港へ。 23:10発のタイ国際航空TG642便で成田へ。翌朝7:30過ぎに成田に着いた。 空港で携帯電話を返却した後、家に帰り洗濯をし、午後から出社。明日は大連へ行くためまたこの空港に戻ってくることになる。 日本人への世界での信頼と尊敬を維持発展させるためにも、我々はがんばらないといけない。。最後はちょっとかっこつけてみた。 | |