福建客家土楼へ
|
今朝の出発は8時なのでホテルでゆっくりと食事。
友達は昨日三亜で今日のガイドと連絡を取り合っており、金后酒店から中山路を少し南に入った所で観光バスを待つ。朝の中山路は静まり返っている。
福建永定土楼への地図
|
朝の厦門中山路
中山路を出発したバスは北上して海沧大橋を渡り中国本土へ。さらに厦荣高速に入って西進し漳州西ICから一般道に。
途中トイレ休憩が1回あったが厦門からひたすら3時間半走ってまずは昼食場所(阿才飯店)へ。
その後竹製品の店(天泉土竹)へ連れていかれ、まずは買い物。
|
天泉土竹
成都、貴陽につづいて3回目の竹製品の店。したがって竹繊維のプレゼンテーションも3回目。説明はどこもだいたい同じだ。
ここでも友達は「貴州より安かった!」と多くの竹製品のお土産を買い込む。お土産がさらに増えた。
|
僑福楼
福建永定土楼の入口に着いたのは12:40分。なお、ここに着くまでにも途中バスの車窓から南靖土楼群をはじめとして数多くの土楼を確認することができる。
立派な入口(入場料はツアー代に含まれているが50元)を通り抜けた後、まずはメインの承哲楼の前座の僑福楼へ。
中庭には何も建築物がないすっきりとした土楼である。そのおかげで土楼の構造がよくわかる。
|
承哲楼
これが有名な承哲楼を外から見たもの。
中には寺院仏閣と思われる構造物があり、2階以上に上がらないと全体像がよくわからない。
但し土楼保護の理由で観光客はそこにはいけないので内部に張ってある写真で理解するしかない。
|
承哲楼内部
承哲楼とその周りの土楼群は、永定県古竹郷高頭村にある。これらは清康熙四十八年(1709年)建てられ、面積は5376.17平方メートルもある。承啓楼は《圓楼之王》の別名があり、1986年発行の、中国1元切手の図柄にもなりとても人気があったとのこと。
承啓楼(円楼)の隣には、最初に行った僑福楼(円楼)、世澤楼(方楼)、五雲楼(方楼)が並んで建っている。これらは江氏一族の土楼だとのこと(中国国際航空のホームページから引用)。 但し五雲楼は最近の地震で崩れかけているので入場禁止であった。
右の写真のように一階には土楼の外円に沿って狭い通路があり、建物の一階部分は商店街となっている。
この他に中に入れる土楼は方楼(四角形)の世澤楼(下の写真)。
|
承哲楼内部
土楼付近の町(下の写真)はかなり地味な町並みである。
|
世澤楼
|
福建永定土楼街
|
福建永定土楼群
土楼の内部を見学したあと裏山に登ると土楼群の全体像を眺めることが出来る。この山に登って気付いたのだが土楼は先ほど見学した4つ以外にも数多くあり、撮影したこの方向でさえ10個程度の土楼を確認することができる。
|
南靖華禧珈琲厂
土楼の観光を終え、厦門に戻る途中珈琲工場(左の写真)の売店に立ち寄りお買い物。
お土産の種類は多いが、私が大好きな西瓜の種やひまわりの種が売られていない。私は早々と出たが友達は。。。。
|
夜の厦門中山路
ここで我々はこれまでのツアーメンバーと分かれて別の観光バスに乗るように言われた。
他のツアーメンバーはどこに行くのだろう?もう一日どこか別の観光に行くのかな?
厦門に戻ると中山路は歩行街(歩行者天国)になっており観光バスが中まで入れないとのことでその入口で下ろされる。
夕方の中山路は朝と打って変わり大繁華街となっていた。
ここからホテルまでは徒歩だが、友達は相変わらず買い物をしながらのんびり歩いていたのでまたはぐれてしまった。
仕方が無く先にホテル(名前が思い出せなかったが方向がなんとなくわかった)に戻ってロビーで待っていたら友達もやがて戻ってきた。
何を買っていたのかと思ったら大量のお土産を入れる大きな袋だ。
|
夜の厦門中山路
今夜は友達との本旅行最後の食事ということもあり、私が大好きな火鍋店を探したが厦門では火鍋は人気ないようで結局見つからなかった。
仕方が無いので路地に入ってご当地料理を賞味。
写真のように2種類の海老料理(日本ではその内の一つは『ザリガニ』という。)とホタテの料理、そしてチジミだ。
|
夜の厦門中山路
食後、夜の中山路を散歩しながらホテルに戻る。各自の部屋に戻って、それぞれ先ほど友達が買った大きな袋にお土産をつめる。
すると友達が部屋にきて、袋が壊れていると言う(友達の袋は買った時からすでにジッパーが壊れていたらしい。)。
それでまた新たな袋を求めて中山路の歩行街へ。
すごい量のお土産になったものだ。。
|